こんにちは。
この春は、
キッチンに立っていながら、
同じところをぐるぐる回りつづけているような春でした。
これは、想像していなかったことだったのですが
自分という存在が誰にも認められずに
家事とケア労働によって 消費だけされていく感覚と
向き合い続けるような日々でした。
家事とケアは、やってもやっても「積みあがらない」。
売り上げが上がるわけでも、
やればやるだけ、減るわけでもない。
家族からの「ありがとう」はもちろんうれしい。ちゃんとやりがいもある。
だけどそれだけでは、
「私が今日を生きた」という実感が
どこか足りなかったのでした。
仕事を離れた後に増えた
「家族のためのお昼ご飯をきちんと作る」
その、たったひとつの家事への辛さが
積みあがって、ちょうど息苦しくなっていました。
さらに新年度は、あちこちから無限にLINEが来て
私のためだけの「大切なほんの5分」は、その連絡に消費され
一瞬パソコンに触れることも、
ブログに書く内容を考えることも、
誰にも許されない感覚がつらかった。
それは時々、
私ひとりで出かけたり
大人同士、旧友と過ごす時間の中で、
一瞬「自分」を取り戻したあと
その時間を得たことへの’’罰’’みたいに
溜まった家事と、家族への罪悪感で
「戻ってきたはずの私」がリセットされて
「暮らしを回すためのパーツに戻る」のと近い感覚。
なるほど、私には主婦は向いていないんだ。
仕事があるから、
LINEを返せなくても
家事ができていなくても許される
そのゆとりの方が
私の心はずっと健全でした。
でも、じゃあ、
今の私にできることはなんだろう。
永遠に終わることのない家事とケアを行う
暮らしのパーツから
一時的にじゃなく
私という存在をどうやって切り離せるだろう。

まず、私は、
LINEグループに「きちんと」所属することから抜け出しました。
そのメンバーでいることで、
わたしの5分を使われてしまうのなら
すべて既読スルーでかまわない。
幸い、おおきな習い事で、100人を超えるグループばかり。
私が読まなくなったところで、誰も気にとめない。
中身を読んで、考えて、リアクションしたり返事をすることを
一切やめました。
代わりに私は、その5分に
キッチンに手帳を置くことにしました。
スケジュール管理しているものとはちがう一冊。
デザインが大好きで、ずっと使いたいと思って買った
でも汚したくなくて、持ち歩けなかったシステム手帳。
何を書くかは決めていません。
フィルターを掃除した、わたしは偉かった、みたいなことから
久しぶりの晴天の、朝の光が元気をくれた、みたいな
どうでもいいことまで。
とにかく消費されない「私」を、少しだけでも積み上げたいと思って。
フィルターを掃除しても、誰にも感謝されず
ただ、日々の家事が後ろ倒しになって
未来の自分を圧迫する。
それでも、この手帳に残せば
「前進する」感覚をすこし掴めるかと思って。
前進しながら、自分を取り戻す日々を
また記録します。


コメント